異色対談実現! <維新派/松本雄吉>VS<ヨーロッパ企画/上田誠>![特集:演劇・ミュージカル]
2004年の『キートン』以来となる4年ぶりの野外劇を、なんと琵琶湖の水上で上演してしまう維新派。これはなんとしてもフィーチュアリングが必要でしょう! …ということで、8月に『あんなに優しかったゴーレム』東京公演を控えているヨーロッパ企画主宰・上田誠に、維新派主宰・松本雄吉へのインタビューを特別にお願いしてみました。前衛的な野外集団×娯楽的なコメディ集団の組み合わせは一見水と油ですが、実は現在のヨーロッパ企画の作風は、維新派の世界にインスパイアされた部分が少なからずあるそうで…その辺りの思い入れも交えつつ、維新派流の野外劇の作り方や、次回公演の構想などを、33歳の歳の差を超えて(笑)いろいろと聞き出してもらいました。

●維新派『呼吸機械』
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●ヨーロッパ企画『あんなに優しかったゴーレム』
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野外劇は基本的にお祭り騒ぎで
松本 そういえば『あんなに優しかったゴーレム』は、俺らの芝居(『聖・家族』)のすぐ後に[さきら](註:滋賀県栗東市の劇場[栗東文化芸術会館さきら])でやったらしいな?
上田 ああ、プレビュー公演はそのタイミングでしたね。
松本 あのポスターに写ってたゴーレムの人形は、芝居にも出てきたん?
上田 出ましたよ。あれが舞台上にまずドーンとあって、という所から始まりました。
松本 動きよんの?
上田 そこがまあ、ポイントなんですけど、見た人の間で「動くんじゃないか?」って話が蔓延して、それで「動いた!」みたいなムードになっていくという。芥川龍之介の『薮の中』みたいな……観客からはもう完全に客観でしかないけど、登場人物にはいろいろ主観があってっていう。いわば超常現象があるかないかの、間(あわい)を見せるような話です。
松本 それをああいう風な、役者の芝居の調子でやってしまうわけ? それが不思議やな。俺この前チェルフィッチュの芝居観てんけど、ずっと役者が舞台上で普通にダラダラダラダラしゃべってるのを見せるっていうやり方は、自分らの方が早かったよなあ(笑)。
上田 それは役者全員がそういう話し方というか、そういう身体なんでそうなってしまうというのが。でも最近は役者の身体性も含めて、ごく日常的な要素をそのまま舞台に乗せた上で、どうやってエンターテインメントに仕立て上げることができるかってことを、すごく考えてます。逆に松本さんはここ最近……この前の『nostalgia』もそうでしたけど、タイムスケールがどんどん遠大になってきてますよね。
松本 大げさになってるやろ?(笑)まあ実際、うちの芝居は難民とか漂流民がよく出てくるんやけど、そうなるとどうしても地理や歴史なんかと抵触する部分が出てしまう。漂流をテーマに据える以上は、やっぱりその辺のことは触れておいた方がいいのかなあと。
上田 人間関係がどうこうっていう局所的な芝居とは違って、広い目で時代をとらえるというか、世界を外から描いていくような視点ですよね。僕はすごい……ものすごい、そのやり方に憧れてるんですよ。自分の作品でも、人間を材料みたいに使って時代のムード的なモノを醸し出そうというのは、結構意識してるんですけど。
松本 そうやねえ。わしは人間の心理とかそういうのはよう描かんし、どっちか言うたら映画的に、カメラを引いて全体の雰囲気を映し出すみたいなことの方がね。
上田 僕それって、実はすごく舞台表現向きの描き方だと思うんですよ。むしろ映画の方が、カメラが寄ることでその人の内面を浮かび上がらせるってことができるから、人間の心理とかを描くのに向いているかもしれない。でも舞台はズームとかができない分、引いた視点で世界全体を見せるようなやり方に、どうしたってなるので。
松本 なるほどね。
上田 だから大劇場で観ると何か空々しく見えてしまう芝居もあるんですけど、逆に『nostalgia』は作品のスケールが空間の広さに負けてなくって、すごく観てて心地よかったですね。それでですね、この作品も含めて、ここ数年ホールでの公演が続いてたじゃないですか? なぜこのタイミングで野外劇をやろうと?
松本 ホール公演が続いたんは、海外公演との兼ね合いがあってん。やっぱり野外は雨が降ったら終わりやから、どの国も「小屋でやってくれ」と言われてね。あと前回の『キートン』で無茶しすぎたんで、しばらくこぢんまりとやっとこうかなあと(笑)。
上田 創作上の戦略とかではなく、割と興行的な理由だったわけで(笑)。野外公演って、どの辺りが一番苦労されますか?
松本 野外はね、基本的に間に合わない。
上田 やることが多すぎて?
松本 そうそう。途中で「こうすりゃええのに」と気が付いても、その頃には作業がどんどん進んどって。「いつ言い出そうかなあ」と、ものすごくビビッてたりするわけや(笑)。
上田 そうでしょうねえ。実は僕もむっちゃ野外劇をやってみたいんですけど、やっぱりすごくハードルが高くて。でもそれができてしまうのって、何と言うんでしょう……公演というよりも、言ってみたらお祭の準備に近い雰囲気なんですかね?
松本 まあ基本的にお祭り騒ぎでやってないと、保たんことは保たんね。やっぱり野外は準備期間が長いから、人によっては3ヶ月ぐらいアウトドアライフをせなあかん。だから作品作りとかじゃなく「祭」を支える的な盛り上げ方をせんと、心身共に保たないというのはあります。かと言って俺まで一緒に浮かれてると、やっぱあかんねん。
上田 はいはい、客観的なバランスはどっかで取らなきゃと。
松本 そうやね。みんなつい観客が入るってことを忘れがちになるから、どうしても俺は客席におって「頑張ってるみたいやけど、こっちまでは伝わらへんで」とか、シビアな視線を送っとかなあかん。だから他の人はお祭やけど、俺だけ葬式やってるみたいな感じや(爆笑)。皆楽しそうにしとって、1人だけ寂しい顔して考え込んでるっていう。多分ね、スタッフが一番楽しいんちゃう?
上田 ああ、そうでしょうね。なんか見ていて「参加したい!」って普通に思いますもん。それってすごい、祭度合いが高いってことだと思うんですけど。
松本 だからそれを高めるために、どんな脚本書いたらええのかなあってね。やっぱりベースに祝祭的なモノがなければという、そんな暗黙の要求をされている感じで。ただ維新派のスタッフは、ストーリーがどうこうって説明しても「……」とか「?」にしかならへんから(笑)、結局は今回の水上舞台のように、メインとなる美術的な仕掛けをお題として与えた方が、むしろ盛り上がる気がします。

舞台に立つ人間は身体に対する思想性を持ってほしい
上田 でもそういう視点があるからか、野外なのに感動的なぐらい快適なんですよね。僕ら以前『ロケコメ!』という番組で、京都のいろいろな場所に行って10分ぐらいの芝居を作って、実際に観客の前で上演するってことをやったんですよ。それで屋内はそうでもないんですけど、公園とかの屋外だと声が散っちゃったりしてなかなかうまくできなかったんです。野外でちゃんと芝居を観せるってことは、やっぱり大変なんだなあって。
松本 結局いくら野外でも、基本的な所で劇場に近づけようとする作業は、どうしても必要なんよ。野外やけれどワイルドじゃないっていう(笑)。初期の頃は、そんなこと全然考えてなかったけどね。
上田 初期っていつぐらいですか?
松本 もう、何十年も前の話(笑)。僕はもともと美術の出身なんで、やり始めの頃は「芝居を作る」って意識がそれほどなかったんですよ。すっぽんぽんになって外を走っとったらええやん、お客さんもその辺に座ってもらったらええやんって感じで。
上田 芝居というよりアートパフォーマンスっていう方が、かなり近いですよね。
松本 当初はね。そこからだんだん劇場化していく過程があって、それはそれで面白かった。やっぱり演劇って大きいなあと思ったわ。単なるアートパフォーマンスよりも、雑多な要素がいっぱいあるやん? そういう楽しさを見出したら、やっぱり「劇場的な法則」というのを意識的にやり出すようになった。でも同時にそういう法則を、できるだけ否定していこうって意識も持たないと、やっぱり野外でやるのに面白くないねん。劇場論理に近づきつつ遠のいていくという、そんなことのリフレインでずっとやってる感じやな。
上田 つまりはある程度コントロールしなきゃ成立はしないけど、閉じこめちゃっても面白くないってことですよね? その間を行ったり来たりすることにこそ、楽しさがある。
松本 そうやなあ。
上田 でも先ほどおっしゃっていた、歴史を題材にされたりとか、あるいは場所にインスパイアされて物語を紡ぎ上げるやり方って、演劇よりもアートの考えに近いんじゃないんでしょうか? たとえば白いキャンバスに絵を描く時って、色は白くても素材感とかはあるわけで、それはもう作品を描く上で無視できないというか。
松本 うん、タッチがあるからね。僕らが絵を描いている時には、もうキャンバスというのが「第1現実」としてすでに1つの現実として存在し、その上に「第2現実」という絵の具を乗せていくっていう考え方があった。これが野外だと、まず風景が「第1現実」としてそこにあるというね。とらえ方として、そういうのはあるかもわからへんな。
上田 それで役者さんを、逆に記号化してみたりということを? 白塗りすることも含めて、場の表情は生かしても、役者さんの表情は記号化してるという印象があるんですが。
松本 確かにどっちか言うたら、記号的というか「表情は抑えてくれ」って言う方が多いね。野外はどうしても空間がデカいし遠いから、表情よりも立ち方とか走り方とか、そっちの方を重視する。だから身体のとらえ方が、よりデッサン的になってるかもなあ。
上田 だからですかね? 僕は維新派の役者さんを、顔よりはむしろ「あの形の人」っていう印象で覚えているんですよ。各々の身体のフォルムに合わせて演出を付けるという方が、野外ではより有効ってことになるんでしょうか?
松本 そうやね。ホンマに役者には失礼やけど、素材的な感じ。だから役者をチーム分けする時も、上手い下手じゃなくて、ちんまい奴と中ぐらいの奴とデカい奴って分け方にしてる(笑)。でも役者たちも、自分たちが何を要求されてるのかは、ちゃんとわかってるみたい。やっぱチビにはチビのやれることしかできへんねんなあ、っていう風に。
上田 それに最近は振付というか、役者さんの動きがすごく複雑になってますよね?
松本 それには単純に、複雑にせんと面白くないからやね。俺はよくダンスを観に行くねんけど、なんか最近のダンスってあんまり面白くないねん。ある程度動きのパターンを覚えて、それを繰り返すようなもんが多いやん? やっぱり舞台に立つ人間は、ある程度身体に対する思想性を持ってやってほしい。わしらはダンサーではないけれど、身体に対する論理をちゃんとつかんだ上で、それをゆっくり作っていくってことはやりたいね。
上田 そうなんですよね。たとえば4拍子の曲だったら、自分でもリズムを取りながら観ることができる。でも5拍子や7拍子になってくると、こっちにはない身体の論理というか、レベルが1つ上のモノを見せられてるって感じがするんですよ。では今回も、野外のダイナミズムはありながらも、結構役者さんにはいろいろと細かい要求を?
松本 うん、かなり厳しくね。6月から稽古始めてんねんけど、本番まで4ヶ月あるやん? 普通の芝居やったら4ヶ月も稽古したら十分やけど、それでも足りるかどうかって。
上田 はあー……相当複雑そうですね。

舞台と琵琶湖が一体化し、役者はまるで水の上に立っているかのよう…
上田 『呼吸機械』は、前回の『nostalgia』の続編になるんですよね?
松本 テーマ的には続編やけど、前のとはまた別の話になりますね。ギリシアのテオ・アンゲロプロスって映画監督おるやん? あの人が「20世紀三部作」いうて、その第1弾として『エレニの旅』って映画を作ってるんですよ。それを観た時に「わしも真似しようかな」と……やっぱりなあ、映画って観たらあかんで!(笑)何かしら影響されんねん。まあでも、南米の次はヨーロッパが舞台というのだけはお題のように決まってたんで、取りあえず第二次世界大戦の渦中のヨーロッパから始めようかなあとは思ってます。
上田 このポスターの写真、すごいですよねえ。
松本 うん。一度ね、水の上で芝居をやってみたかったんよ。人間が立っていること自体が何か危ういという、そういう風景が見たいなあと。それで早速、琵琶湖の湖面上に人間が立ってるように見えるポスターにしてんけど。
上田 へえ……実は『ゴーレム』の発想も、それに近いんですよ。舞台が高さ6尺(約180cm)の所に設置されているんですが、それは人間が普段よりも高い所にいるだけで、きっと常識では得られない異様な感覚が生まれるだろうという狙いがあって。
松本 なるほどね。この写真「CGちゃうか?」って言われるけど、実際に水の中に台を置いて立たせてるんよ。だから舞台の方も同じような感じで、目の前で観てるのに「うそ! これCGちゃうん?」って思ってまうような、異様な風景にできたら面白いなあと。
上田 ……あ!「水上舞台」っていうのはそういうことなんですか?
松本 うん。最後の方で舞台の上に水が流れ込んで河となって、それが琵琶湖と一体になって、役者がまるで水の上に立ってるような状態になるっていうのを考えてる。
上田 水の上に板場を組んで舞台にするのかなあ、ぐらいの印象でした。
松本 やっぱり「びわ湖水上舞台」言うたら、能や歌舞伎のように四角に切った感じの、スウーッと静かに動くような芝居を想像するやろうな。でも琵琶湖って「鏡の如き水の面」とか、静かなイメージを皆持ってるみたいやけど、秋から冬にかけては結構日本海並みに荒れるんですよ。だからそれに合わせて、「静」ではなく「動」って感じの舞台にしたいね。
上田 『nostalgia』に出てきた巨大モンスター〈彼〉は、今回も登場するんですか?
松本 うん。〈彼〉は最初「20世紀が生んだ奇形児」みたいなある種の哲学を持って作っててんけど、それとは関係なしに、そこにおるだけで面白くなってきて(笑)。なんか哀れで、滑稽な存在。だから〈彼〉はこれから、僕の脚本を離れて一人歩きしていきよるんちゃうかなあと。その姿を後ろから見つめて、シナリオ化していく感じになりそうです。さらに今回は〈彼〉に加えて、もっとデカいモンスターを出そうと思ってる。〈彼〉が身長4mだから、もう1つは10mぐらいにするつもり。ただそれぐらいデカいと人力では歩かされへんし、どうやって動かそうか今考えてるところです。だから自分らの芝居の話を聞いた時に、あの人形をどないして動かすのかが気になってね(笑)。
上田 いやもう延々と、ゴーレム取り囲んでいろいろやってるだけですから(笑)。その辺りの所は、東京公演……は見られないでしょうから、ぜひDVDでご覧下さい。
松本 『Windows5000』はDVDで観てんけど、「ガーディアン・ガーデン」の頃からは、ずいぶん作風変わったよね?(註:ヨーロッパ企画が01年の「ガーディアン・ガーデンフェスティバル」の最終予選に出場した際、松本は審査員を務めていた)
上田 そうですね。あの頃はそれこそ会話のアンサンブルだったんですけど、最近は野球みたいにグラウンドとルールだけを決めて、あとはプレイヤー……役者に自由に動いてもらってっていう。それで「誰がどんなプレイをしても面白い見せ物になる」という新しいフィールドを作れないかなというのが、最近の作劇の動機です。そういう「フィールドから発想する」ってやり方は、もう完全にあれですよ、維新派を観て(笑)。
松本 よう言うよ(笑)。
上田 いやいやいや、だってそうですよ。今って映像で何でもできる時代なので、舞台でしかやれない……演劇だからこそ面白いモノって、結構探すの大変やなあと思うんですよ。そういう意味では維新派は、身体を思想的に使うこととか、世界をパノラマ的に見せていくこととか、劇場を飛び出して野外に行かれることとか、全部が演劇だからこその必然という風に、僕には見えるんです。
松本 まあ確かに、演劇とかのライブもんって、これからどうなって行くんやろうなってのはあるね。なんかやっぱり先細りしかね、見えないのが普通やんか(笑)。
上田 だから僕は「横につなげる」っていうのを、最近すごく意識してるんです。たとえば舞台と映像とか、舞台と音楽とか、インターネットとかと。やっぱり横につながっていかないと、どんどんその領域だけで血流が悪くなって終わっていく気がしますんで。
松本 まあ、若いからな! 俺もそういうのんってやろう思ったらできるやろうけど、なんか「おっちゃん無理すんなや」って言われそうで、恥ずかしくてできない(笑)。
上田 いやー、そんなことないですよ!
松本 いや絶対言われるって! まあだからこそ、琵琶湖みたいな所で実験的な芝居をやりたいって思うわけ。それがうまいこといったら、何かライブもんの表現の明日みたいなことが、ちょっとは見えてくるんちゃうかなあと期待してるねんけどね。

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野外劇は基本的にお祭り騒ぎで
松本 そういえば『あんなに優しかったゴーレム』は、俺らの芝居(『聖・家族』)のすぐ後に[さきら](註:滋賀県栗東市の劇場[栗東文化芸術会館さきら])でやったらしいな?
上田 ああ、プレビュー公演はそのタイミングでしたね。
松本 あのポスターに写ってたゴーレムの人形は、芝居にも出てきたん?
上田 出ましたよ。あれが舞台上にまずドーンとあって、という所から始まりました。
松本 動きよんの?
上田 そこがまあ、ポイントなんですけど、見た人の間で「動くんじゃないか?」って話が蔓延して、それで「動いた!」みたいなムードになっていくという。芥川龍之介の『薮の中』みたいな……観客からはもう完全に客観でしかないけど、登場人物にはいろいろ主観があってっていう。いわば超常現象があるかないかの、間(あわい)を見せるような話です。
松本 それをああいう風な、役者の芝居の調子でやってしまうわけ? それが不思議やな。俺この前チェルフィッチュの芝居観てんけど、ずっと役者が舞台上で普通にダラダラダラダラしゃべってるのを見せるっていうやり方は、自分らの方が早かったよなあ(笑)。
上田 それは役者全員がそういう話し方というか、そういう身体なんでそうなってしまうというのが。でも最近は役者の身体性も含めて、ごく日常的な要素をそのまま舞台に乗せた上で、どうやってエンターテインメントに仕立て上げることができるかってことを、すごく考えてます。逆に松本さんはここ最近……この前の『nostalgia』もそうでしたけど、タイムスケールがどんどん遠大になってきてますよね。
松本 大げさになってるやろ?(笑)まあ実際、うちの芝居は難民とか漂流民がよく出てくるんやけど、そうなるとどうしても地理や歴史なんかと抵触する部分が出てしまう。漂流をテーマに据える以上は、やっぱりその辺のことは触れておいた方がいいのかなあと。
上田 人間関係がどうこうっていう局所的な芝居とは違って、広い目で時代をとらえるというか、世界を外から描いていくような視点ですよね。僕はすごい……ものすごい、そのやり方に憧れてるんですよ。自分の作品でも、人間を材料みたいに使って時代のムード的なモノを醸し出そうというのは、結構意識してるんですけど。
松本 そうやねえ。わしは人間の心理とかそういうのはよう描かんし、どっちか言うたら映画的に、カメラを引いて全体の雰囲気を映し出すみたいなことの方がね。
上田 僕それって、実はすごく舞台表現向きの描き方だと思うんですよ。むしろ映画の方が、カメラが寄ることでその人の内面を浮かび上がらせるってことができるから、人間の心理とかを描くのに向いているかもしれない。でも舞台はズームとかができない分、引いた視点で世界全体を見せるようなやり方に、どうしたってなるので。
松本 なるほどね。
上田 だから大劇場で観ると何か空々しく見えてしまう芝居もあるんですけど、逆に『nostalgia』は作品のスケールが空間の広さに負けてなくって、すごく観てて心地よかったですね。それでですね、この作品も含めて、ここ数年ホールでの公演が続いてたじゃないですか? なぜこのタイミングで野外劇をやろうと?
松本 ホール公演が続いたんは、海外公演との兼ね合いがあってん。やっぱり野外は雨が降ったら終わりやから、どの国も「小屋でやってくれ」と言われてね。あと前回の『キートン』で無茶しすぎたんで、しばらくこぢんまりとやっとこうかなあと(笑)。
上田 創作上の戦略とかではなく、割と興行的な理由だったわけで(笑)。野外公演って、どの辺りが一番苦労されますか?
松本 野外はね、基本的に間に合わない。
上田 やることが多すぎて?
松本 そうそう。途中で「こうすりゃええのに」と気が付いても、その頃には作業がどんどん進んどって。「いつ言い出そうかなあ」と、ものすごくビビッてたりするわけや(笑)。
上田 そうでしょうねえ。実は僕もむっちゃ野外劇をやってみたいんですけど、やっぱりすごくハードルが高くて。でもそれができてしまうのって、何と言うんでしょう……公演というよりも、言ってみたらお祭の準備に近い雰囲気なんですかね?
松本 まあ基本的にお祭り騒ぎでやってないと、保たんことは保たんね。やっぱり野外は準備期間が長いから、人によっては3ヶ月ぐらいアウトドアライフをせなあかん。だから作品作りとかじゃなく「祭」を支える的な盛り上げ方をせんと、心身共に保たないというのはあります。かと言って俺まで一緒に浮かれてると、やっぱあかんねん。
上田 はいはい、客観的なバランスはどっかで取らなきゃと。
松本 そうやね。みんなつい観客が入るってことを忘れがちになるから、どうしても俺は客席におって「頑張ってるみたいやけど、こっちまでは伝わらへんで」とか、シビアな視線を送っとかなあかん。だから他の人はお祭やけど、俺だけ葬式やってるみたいな感じや(爆笑)。皆楽しそうにしとって、1人だけ寂しい顔して考え込んでるっていう。多分ね、スタッフが一番楽しいんちゃう?
上田 ああ、そうでしょうね。なんか見ていて「参加したい!」って普通に思いますもん。それってすごい、祭度合いが高いってことだと思うんですけど。
松本 だからそれを高めるために、どんな脚本書いたらええのかなあってね。やっぱりベースに祝祭的なモノがなければという、そんな暗黙の要求をされている感じで。ただ維新派のスタッフは、ストーリーがどうこうって説明しても「……」とか「?」にしかならへんから(笑)、結局は今回の水上舞台のように、メインとなる美術的な仕掛けをお題として与えた方が、むしろ盛り上がる気がします。

舞台に立つ人間は身体に対する思想性を持ってほしい
上田 でもそういう視点があるからか、野外なのに感動的なぐらい快適なんですよね。僕ら以前『ロケコメ!』という番組で、京都のいろいろな場所に行って10分ぐらいの芝居を作って、実際に観客の前で上演するってことをやったんですよ。それで屋内はそうでもないんですけど、公園とかの屋外だと声が散っちゃったりしてなかなかうまくできなかったんです。野外でちゃんと芝居を観せるってことは、やっぱり大変なんだなあって。
松本 結局いくら野外でも、基本的な所で劇場に近づけようとする作業は、どうしても必要なんよ。野外やけれどワイルドじゃないっていう(笑)。初期の頃は、そんなこと全然考えてなかったけどね。
上田 初期っていつぐらいですか?
松本 もう、何十年も前の話(笑)。僕はもともと美術の出身なんで、やり始めの頃は「芝居を作る」って意識がそれほどなかったんですよ。すっぽんぽんになって外を走っとったらええやん、お客さんもその辺に座ってもらったらええやんって感じで。
上田 芝居というよりアートパフォーマンスっていう方が、かなり近いですよね。
松本 当初はね。そこからだんだん劇場化していく過程があって、それはそれで面白かった。やっぱり演劇って大きいなあと思ったわ。単なるアートパフォーマンスよりも、雑多な要素がいっぱいあるやん? そういう楽しさを見出したら、やっぱり「劇場的な法則」というのを意識的にやり出すようになった。でも同時にそういう法則を、できるだけ否定していこうって意識も持たないと、やっぱり野外でやるのに面白くないねん。劇場論理に近づきつつ遠のいていくという、そんなことのリフレインでずっとやってる感じやな。
上田 つまりはある程度コントロールしなきゃ成立はしないけど、閉じこめちゃっても面白くないってことですよね? その間を行ったり来たりすることにこそ、楽しさがある。
松本 そうやなあ。
上田 でも先ほどおっしゃっていた、歴史を題材にされたりとか、あるいは場所にインスパイアされて物語を紡ぎ上げるやり方って、演劇よりもアートの考えに近いんじゃないんでしょうか? たとえば白いキャンバスに絵を描く時って、色は白くても素材感とかはあるわけで、それはもう作品を描く上で無視できないというか。
松本 うん、タッチがあるからね。僕らが絵を描いている時には、もうキャンバスというのが「第1現実」としてすでに1つの現実として存在し、その上に「第2現実」という絵の具を乗せていくっていう考え方があった。これが野外だと、まず風景が「第1現実」としてそこにあるというね。とらえ方として、そういうのはあるかもわからへんな。
上田 それで役者さんを、逆に記号化してみたりということを? 白塗りすることも含めて、場の表情は生かしても、役者さんの表情は記号化してるという印象があるんですが。
松本 確かにどっちか言うたら、記号的というか「表情は抑えてくれ」って言う方が多いね。野外はどうしても空間がデカいし遠いから、表情よりも立ち方とか走り方とか、そっちの方を重視する。だから身体のとらえ方が、よりデッサン的になってるかもなあ。
上田 だからですかね? 僕は維新派の役者さんを、顔よりはむしろ「あの形の人」っていう印象で覚えているんですよ。各々の身体のフォルムに合わせて演出を付けるという方が、野外ではより有効ってことになるんでしょうか?
松本 そうやね。ホンマに役者には失礼やけど、素材的な感じ。だから役者をチーム分けする時も、上手い下手じゃなくて、ちんまい奴と中ぐらいの奴とデカい奴って分け方にしてる(笑)。でも役者たちも、自分たちが何を要求されてるのかは、ちゃんとわかってるみたい。やっぱチビにはチビのやれることしかできへんねんなあ、っていう風に。
上田 それに最近は振付というか、役者さんの動きがすごく複雑になってますよね?
松本 それには単純に、複雑にせんと面白くないからやね。俺はよくダンスを観に行くねんけど、なんか最近のダンスってあんまり面白くないねん。ある程度動きのパターンを覚えて、それを繰り返すようなもんが多いやん? やっぱり舞台に立つ人間は、ある程度身体に対する思想性を持ってやってほしい。わしらはダンサーではないけれど、身体に対する論理をちゃんとつかんだ上で、それをゆっくり作っていくってことはやりたいね。
上田 そうなんですよね。たとえば4拍子の曲だったら、自分でもリズムを取りながら観ることができる。でも5拍子や7拍子になってくると、こっちにはない身体の論理というか、レベルが1つ上のモノを見せられてるって感じがするんですよ。では今回も、野外のダイナミズムはありながらも、結構役者さんにはいろいろと細かい要求を?
松本 うん、かなり厳しくね。6月から稽古始めてんねんけど、本番まで4ヶ月あるやん? 普通の芝居やったら4ヶ月も稽古したら十分やけど、それでも足りるかどうかって。
上田 はあー……相当複雑そうですね。

舞台と琵琶湖が一体化し、役者はまるで水の上に立っているかのよう…
上田 『呼吸機械』は、前回の『nostalgia』の続編になるんですよね?
松本 テーマ的には続編やけど、前のとはまた別の話になりますね。ギリシアのテオ・アンゲロプロスって映画監督おるやん? あの人が「20世紀三部作」いうて、その第1弾として『エレニの旅』って映画を作ってるんですよ。それを観た時に「わしも真似しようかな」と……やっぱりなあ、映画って観たらあかんで!(笑)何かしら影響されんねん。まあでも、南米の次はヨーロッパが舞台というのだけはお題のように決まってたんで、取りあえず第二次世界大戦の渦中のヨーロッパから始めようかなあとは思ってます。
上田 このポスターの写真、すごいですよねえ。
松本 うん。一度ね、水の上で芝居をやってみたかったんよ。人間が立っていること自体が何か危ういという、そういう風景が見たいなあと。それで早速、琵琶湖の湖面上に人間が立ってるように見えるポスターにしてんけど。
上田 へえ……実は『ゴーレム』の発想も、それに近いんですよ。舞台が高さ6尺(約180cm)の所に設置されているんですが、それは人間が普段よりも高い所にいるだけで、きっと常識では得られない異様な感覚が生まれるだろうという狙いがあって。
松本 なるほどね。この写真「CGちゃうか?」って言われるけど、実際に水の中に台を置いて立たせてるんよ。だから舞台の方も同じような感じで、目の前で観てるのに「うそ! これCGちゃうん?」って思ってまうような、異様な風景にできたら面白いなあと。
上田 ……あ!「水上舞台」っていうのはそういうことなんですか?
松本 うん。最後の方で舞台の上に水が流れ込んで河となって、それが琵琶湖と一体になって、役者がまるで水の上に立ってるような状態になるっていうのを考えてる。
上田 水の上に板場を組んで舞台にするのかなあ、ぐらいの印象でした。
松本 やっぱり「びわ湖水上舞台」言うたら、能や歌舞伎のように四角に切った感じの、スウーッと静かに動くような芝居を想像するやろうな。でも琵琶湖って「鏡の如き水の面」とか、静かなイメージを皆持ってるみたいやけど、秋から冬にかけては結構日本海並みに荒れるんですよ。だからそれに合わせて、「静」ではなく「動」って感じの舞台にしたいね。
上田 『nostalgia』に出てきた巨大モンスター〈彼〉は、今回も登場するんですか?
松本 うん。〈彼〉は最初「20世紀が生んだ奇形児」みたいなある種の哲学を持って作っててんけど、それとは関係なしに、そこにおるだけで面白くなってきて(笑)。なんか哀れで、滑稽な存在。だから〈彼〉はこれから、僕の脚本を離れて一人歩きしていきよるんちゃうかなあと。その姿を後ろから見つめて、シナリオ化していく感じになりそうです。さらに今回は〈彼〉に加えて、もっとデカいモンスターを出そうと思ってる。〈彼〉が身長4mだから、もう1つは10mぐらいにするつもり。ただそれぐらいデカいと人力では歩かされへんし、どうやって動かそうか今考えてるところです。だから自分らの芝居の話を聞いた時に、あの人形をどないして動かすのかが気になってね(笑)。
上田 いやもう延々と、ゴーレム取り囲んでいろいろやってるだけですから(笑)。その辺りの所は、東京公演……は見られないでしょうから、ぜひDVDでご覧下さい。
松本 『Windows5000』はDVDで観てんけど、「ガーディアン・ガーデン」の頃からは、ずいぶん作風変わったよね?(註:ヨーロッパ企画が01年の「ガーディアン・ガーデンフェスティバル」の最終予選に出場した際、松本は審査員を務めていた)
上田 そうですね。あの頃はそれこそ会話のアンサンブルだったんですけど、最近は野球みたいにグラウンドとルールだけを決めて、あとはプレイヤー……役者に自由に動いてもらってっていう。それで「誰がどんなプレイをしても面白い見せ物になる」という新しいフィールドを作れないかなというのが、最近の作劇の動機です。そういう「フィールドから発想する」ってやり方は、もう完全にあれですよ、維新派を観て(笑)。
松本 よう言うよ(笑)。
上田 いやいやいや、だってそうですよ。今って映像で何でもできる時代なので、舞台でしかやれない……演劇だからこそ面白いモノって、結構探すの大変やなあと思うんですよ。そういう意味では維新派は、身体を思想的に使うこととか、世界をパノラマ的に見せていくこととか、劇場を飛び出して野外に行かれることとか、全部が演劇だからこその必然という風に、僕には見えるんです。
松本 まあ確かに、演劇とかのライブもんって、これからどうなって行くんやろうなってのはあるね。なんかやっぱり先細りしかね、見えないのが普通やんか(笑)。
上田 だから僕は「横につなげる」っていうのを、最近すごく意識してるんです。たとえば舞台と映像とか、舞台と音楽とか、インターネットとかと。やっぱり横につながっていかないと、どんどんその領域だけで血流が悪くなって終わっていく気がしますんで。
松本 まあ、若いからな! 俺もそういうのんってやろう思ったらできるやろうけど、なんか「おっちゃん無理すんなや」って言われそうで、恥ずかしくてできない(笑)。
上田 いやー、そんなことないですよ!
松本 いや絶対言われるって! まあだからこそ、琵琶湖みたいな所で実験的な芝居をやりたいって思うわけ。それがうまいこといったら、何かライブもんの表現の明日みたいなことが、ちょっとは見えてくるんちゃうかなあと期待してるねんけどね。

取材・文/吉永美和子
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