田中哲司と志田未来による緊迫感に満ちた二人芝居『オレアナ』で新演出に取り組む栗山民也が、作品の魅力を語る![インタビュー]

 アメリカ演劇界の鬼才、デイヴィッド・マメットが1992年に発表した二人芝居『オレアナ』。日本では1994年、1999年に続く三演目となる今回は、キャストを一新するのはもちろん、翻訳(小田島恒志)とともに演出もガラッと新しくなる。新演出に挑むのは日本を代表する演出家の一人、栗山民也だ。幅広いジャンル、作風のさまざまな演目を繊細にかつ的確に演出してきた栗山に、今作の魅力や、どんな思いで作品に取り組んでいるのかなどを聞いた。

二人とも、とてもチャーミングで面白い俳優だと思う。
でも見た目のギャップはありすぎかな?(笑)

――志田未来さんは今回が初舞台ですが、栗山さんからご覧になっていかがですか。

 面白いね。これまであまり他の演劇を見てこなかったということも、いいんじゃないかな。だから「二人芝居はこうでなきゃいけない」とか、そういう思い込みみたいなものも全然ない。ただひたすら役と正直に向き合っているだけ、ものすごく熱く純粋なんだよね。

 「ずっと彼のほうだけを見ていて」と言えば、もう本当にずーっと見ているんだ、食い付くような視線でね。そういう、不思議な力強い集中力があるな。つまり全身で集中するんだよね。しかもこの芝居は、ちょっとでも楽になれる時間なんてないわけだから。

――約2時間の上演時間中、最後の最後まで緊張感が続きます。

 平和に笑うなんてこともない(笑)。120%安心して笑える瞬間もまったくないからね。

――一方の田中哲司さんは、今年は二人芝居続きですけど。

 今回は大変だよ、量もだけどあのセリフを覚えるのは。普通の日常の対話じゃないからね。それに妙に難しい言葉を使う大学教師という役だから、それを平易にしちゃうと設定が違ってくるし。「で、先生は何を言いたいんですか?」というセリフが何度も出てくるから、あれは確かに自分でしゃべっていても何がなんだかわからなくなっちゃうよね。

――栗山さんが田中さんを演出するのも、今回が初めてですよね。

 彼も、とても面白い俳優だね。舞台での居方が、妙に芝居っぽくなく、自然というか、やわらかい。

――器用すぎないところが、また魅力的かと思いますが。

 器用な俳優は日本にはいっぱいいるけど、基本的に居方は少々不自由なほうがいいんだよ、俳優っていうのは。それはなぜかというと、人間のデコボコなところを描くわけだから。そのほうが俳優の身体から、歴史の記憶なんかがチラッと見えてくるものなんだ。セリフとしてしゃべったことも、嘘にならない。そうやって劇作家の残した言葉を今に具象化するのが俳優の仕事だよね。田中哲司というのは、それができる身体の持ち主だと思う。

――また田中さんと志田さんの二人の見た目も、作品に合ったいいバランスですよね。背の高さにしても、すごくギャップがあって。

 ちょっと、見た目に関してはギャップがありすぎかな?(笑)

「話し合う」というのは、まさにこの作品での
二人の会話みたいなことなんじゃないのかな

――稽古を見学させていただいたのですが、ステージが左から右に下がるという八百屋舞台になっているのがとても印象的でした。

 まあ、普通にやってもいいんだけど。たとえば今の時代に合わせてマメットが新作を書いたということだったなら、僕はもっと素直にやったと思うんだけど、この作品はもう20年以上前のものでしょう。だったらちょっと何かひとつ、今の状況に合う何かの仕掛けを加えようかなと思ったんです。それで最初から不安定な状態を設定しておきながら、その上でよりシンプルな芝居にしたら面白いんじゃないかなと。そういう意味でも僕は、ただ激しいやりとりだけの芝居にしようとは思わなかった。日本でやるという上でも、がなり立てる芝居では絶対ないと思ったから。むしろ水面下でお互いを引っ張り合うような意識の微妙な駆け引きが、面白いと思ったんだ。それで、床自体はああいうふうに不安な状況にしたわけ。

――幕が下りた後も、お客さんはずーっと不安な気持ちでいるかもしれませんね。そして「どういうことなんだろう?」と考え続けてしまいそう。

 ぶつっと断ち切るように終わるからね。でも、いいんじゃない。今はみんな、物事を深く考えることを止めちゃっているから。ここで、ちょっと無駄にいろいろ考えてみても。

――世の中のことにしても、わからないことばかりで答えなんてないのが普通ですしね。

 そう。提案するだけでしょ、今は。自分からぶつかってみて何かを得ようとすることもないし。この作品のように、コミュニケーションをとろうと思って必死になって言葉を駆使している姿なんて、めったに出会えないからね。これだって少なくとも台本1、2ページ分のセリフを一人でしゃべるわけなんだけど、こんな論理で積み上げていく会話って今の日本にはまったくない。だからって日本人をダメだと言っているわけではないよ。それが日本の文化なんだから仕方がない。だけどやっぱり「まあいいや」ってすぐに放棄しちゃうのはやめようと思うわけ。「話し合う」ということは、まさにこの作品の二人の会話みたいなことでしょ。人間は言葉を持っているのだから、それを大事に使わないとダメだよね。まあ、これって要は、無意識のうちに権力志向の言葉が自分に向かっていると誤解した被害妄想の一女性の話でもあって。だからマイナスの方向へ、マイナスの方向へと解釈していってしまう。彼のほうにそういう意識はないのに。だけどそう考えると、実は大国アメリカが無意識のうちにやっていることにも似ていて……とか、つまりアメリカとイスラムの問題みたいにも解釈できるかもしれないとも思うんだ。

――マメットにそういう自己批判的な視線があったのでしょうか?

 ま、そんな大それたことを主張しようとしているわけじゃないんだろうけど。だけどやっぱり優れた作家というのは、同時代を読むからね。裏側に権力の問題を持ってきたというのはやっぱり、アメリカ全体がそんな状況になってきたと思ったからなんじゃないのかな。そういう意味でもこれは“セクハラ”だけをテーマにした作品ではない。セクハラももちろん、それが男女間のことであると言うだけで結局は大きくとらえて権力の問題で、強いものが弱いものに一方的に圧力をかけることだから。“パワハラ”だって同じことですよ。 

この作品は決して“セクハラ”問題だけを
テーマに描いているわけではないんです

――この作品は一見、セクハラがテーマのように思われがちですが、単にそれだけの内容ではない、と。

 これは1992年に書かれた作品なんだけど、その前年にアメリカでクラレンス判事によるセクハラ事件が起きているんだ。だから実際にはおそらく、その事件を題材にしてマメットはこの芝居を書いたんじゃないかと思う。でもそれは契機であって、作品全体としてはセクハラ問題の芝居ではないと思う。だけど、セクハラってどこの段階からどこの段階がそうなのかって、あいまいさがすごくある問題でしょ。ただ、肩に手を置いただけでも相手がセクハラだと訴えれば、性犯罪の入口だという解釈も成り立つし。全然そういう気のない言葉だとしても、それでものすごく傷付けたりね。それもちょうど90年代というのは不確定性というものの時代に入ったところだし、冷戦が終わって、ものすごく世界全体があいまいになってきたころで。そのこととも、すごくリンクしてるんじゃないかな。さまざまな価値観がガラガラと大きく変わっていった時代に生まれた作品なわけだから。さらに面白いのがコミュニケーションと、ディスコミュニケーションとの問題も含まれていること。もともと、この登場人物の二人は全然違う環境、状況にいる人間だから、ちゃんとした会話がはじめから成立していない。でもそれってすごく実は現代的なことでもあって。二人は全然違うベクトルで話をするから、最後までバラバラな方向に向かっていく。しかも作家はここがセクハラの瞬間ですよとは描いていないからね。まさにこれが鏡に写し出された現代で、このあいまいさ、不確定性こそが人間なんじゃないかという書き方をしているわけです。

――だからこそ見せ方としても、ジョンとキャロル、どちらが加害者で被害者だとかそういうことではない。

 そう。自分が正義だと思った瞬間、じつは加害者になっているという場合もあるしね。これは二時間近い芝居で、そこにはあらゆる関係の局面が見えてくるわけです。日本人はどっちが善玉か悪玉か、どっちが勝ったか負けたとか、はっきりしたことが好きだけど、今回はどっちが勝ったかなんてまったく関係ない。二人にとって何も解決はしないし。

――観ている途中から、観客の気持ちもジョン寄りになったりキャロル寄りになったり、ものすごく揺さぶられるのが面白い戯曲ではありますよね。

まあ、それもお客さんの自由、と思うけどね。

――そういうことを狙っているわけではない、と。

そうですね、今回に関しては。作家の視点というのはすごく大事だとは思うけど。そう考えると、マメットはすごく残酷な作家だなと思う。たとえばチェーホフとかシェイクスピアだと、稽古をやっているとどこか隅の方で作者が見ているのを感じるんだ。だけどマメットは、どうも近くにいる感じがしない。題材をポーンと投げ与えてくれるだけ。テーマの進み具合に責任を持つのが普通の劇作家のありかただったのが、彼の場合はそうじゃないんだね。題材を、そこらじゅうにバラバラとばらまくわけ。つまりこれをこうやったらこうなるみたいな計算が見えちゃうとつまらないんだ、この芝居は。だから、結末もどこに転がっていくかもわからない。でもそれが人間の関係ってもんだよ、ということなんだと思いますね。

[取材・文=田中里津子]
[撮影=久家靖秀]

公演概要

パルコ・プロデュース公演 「オレアナ」

<公演日程・会場>
2015/11/6(金)〜11/29(日) PARCO劇場 (東京都)
2015/12/1(火)〜12/2(水) 穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール (愛知県)
2015/12/5(土)〜12/6(日) 北九州芸術劇場 中劇場(リバーウォーク北九州6F)(福岡県)
2015/12/8(火) JMSアステールプラザ 大ホール (広島県)
2015/12/12(土)〜12/13(日) 森ノ宮ピロティホール (大阪府)

<キャスト・スタッフ>
出演:田中哲司 志田未来

作:デイヴィッド・マメット 翻訳:小田島恒志
演出:栗山民也

2015-10-30 17:57 この記事だけ表示